14年振りの頂点奪取

コロナ禍で前回大会から6年経って開催された第5回のWBC

 

決勝は日本が3-2でアメリカを下し、14年振り3回目の優勝で幕を閉じた。

 

停滞し切った世の中が、ようやく元に戻るかのように動き始めたところに飛び込んで来た快挙は、日本全体を勇気づけるに相応しい。

 

今回の大会は随所に見応えがあるだけでなく、侍ジャパンの結束力が見事であった。従来的な日本独特の結束とはまた違った、現代のチームワークの姿を見せてくれた。

 

ダルビッシュの求心力というか、若手をしっかり引っ張っていく姿は、かつてのリーダー論でない、彼が経験した人生から相手を思いやる姿を見ることができた。

 

付いて来られないやつは来るな、という風潮はトップ集団にはあり、それに喰らい付いてくる根性を日本のどの業界でもあった事。

 

しかし、今年の侍ジャパンはチームとして目指すべき姿を全員で共有しながら、とにかく仲の良さ、相手への思いやり、カバーを全ての選手、コーチが出来ていたように感じた。

 

時代が違うといえばそれまでなのだろうが、悲壮感などはまるでなく、とは言え仲良しクラブと言われる馴れ合いでもない。楽しくプレーし、真剣に相手に向かい、そして相手への敬意を忘れない。フェアプレーに徹する姿が相手チームの共感・賞賛をよんだのではと思うのだ。

 

国を背負って勝たねばならぬ、日本は特にそう言う風潮が強い風土が今でも残っているから、負けたらどうしようという、ある種の恐怖心は抱えざるを得ないところがある。

 

ところが、もちろん勝ちには拘るけれども、この大会でチームが私たちに発したメッセージは、そんな堅苦しいものではなかった。

 

野球がこんなに楽しく、ワクワクする本来の面白さと勝負の真剣さ、熱く燃える情熱がヒシヒシと伝わってきたのではないだろうか。

 

大谷選手は試合前の円陣で、

 

憧れるのは、今日はやめましょう。

 

とチームに鼓舞した。

 

憧れだけでは、相手は超えられない。

いま、こうして頂点に立つチャンスが目の前にあるのならば、憧れは脇において全力を尽くして戦い、勝ち取るのが我々のミッションだ、と。そこに向かってチームで一丸となってぶつかっていこう、という強い意志を全員で持ったに違いないのだ。

 

最高の結果を私たちにプレゼントしてくれた侍ジャパンのメンバーは、本当に誇りに思う。そして、この素晴らしいメンバーの野球がこれで一旦見納めになる寂しさを感じざるにはいられない。

 

そして、栗山監督をはじめとしたコーチ陣は、選手のサポート、バックアップ、とにかく選手ファーストに見守り、戦略を立て戦ってくださった。前面に出るのではなく、しっかりベンチから支える思いは素晴らしかった。

 

ある監督経験者は自身のコラムで、

栗山監督は選手を統率している感じがしない、と言う表現をされていた。

 

もちろん監督はチームの指揮感であり、組織の統率者である。監督の持つカリスマ性や、揺るぎない信念は、管理者たるものは持たなければならない資質ではある。

 

だが、それをどう出すかは監督それぞれであり、形は違っていて構わない。選手をしっかり率いてるからこそ、監督は選手より目立たない。戦うのは選手自身、選手こそが主役なのだ。部下の手柄を掻っ攫う上司は今時の社会では通用しない。肝心要のところはケツをもつ。だから、お前たちはお前たちの持つ力を存分に発揮してこい、という信頼をお互いに築き上げているから、栗山監督が作った侍ジャパンの最高の答えが今回の優勝なのだと私は思う。

 

こんな素晴らしい組織ならば、組織に尽くして本望だ、と言う部下がしっかり成長してくれる。そしてその取り組みが素晴らしい成果を残してくれるのだ。

 

真の働き方改革、その象徴がこの大会の日本チームなのではないだろうか。