自然災害大国 日本

東日本大震災から13年の今日。

 

あの日と変わり、穏やかな天気が広がった。

 

まだまだ、復興の道は半ばで解決しなければならない問題も山積みだ。

 

今年は正月から能登地震に見舞われ、千葉県東方沖で続く地震も気になる。

 

つくづく、日本は火山列島であり、地震と隣り合わせの国と思い知らされる。

 

自然から受ける恵みも多いが、得てして自然が与えてくれるのは試練である。

 

自然から私たちは何を学ぶべきなのか?

科学技術やAIだけでは、自然災害には立ち向かえない。

 

知恵と勇気。

 

学びを忘れずに、日々に感謝して。

 

生命のバトンを将来に繋いでいこう。

 

 

2024年の年頭も『いのちだいじに』

昨年の目標だった『いのちだいじに』。

 

どうにか、生きながらえた。

 

今年も、引き続き『いのちだいじに』を掲げる。

 

正月早々、能登半島を襲った巨大地震

他人事では済まないけれど、やはり足元をしっかり地に着けて、我々は生きなきゃいけない。

 

支援も大事だが、無闇矢鱈な行動は慎まなければならない。何か天変地異があるときには、必ずその足元を見下す輩が増える。詐欺紛いはもちろん、火事場泥棒の類い、犯罪も増える。

 

出来ることを我々はすれば良い。

過去の大地震で学んだ事が、いま、活かされないでどうする?

 

不幸にも亡くなった方も少なくはないし、いまだ行方知れずの方もいる。

 

残された我々は、『いのちだいじに』生きることこそ、最大の手向けであると思う。ある程度、めどがつけば、ボランティアでお手伝いもできるし、現地が少しでも外からの人を受け入れられるならば、その時にいっぱい金を落とせばいい。

 

今は国、自治体、医療、自衛隊など特化された方々が最優先で救助にあたっている。その邪魔を素人がしてはいけないし、それにあれやこれやと批判をしてはならない。

 

反省するのは先が見えてから、まずは人命が最優先だ。

 

外国では紛争・戦争が絶えない。

本当に平和な世界であるためには、与えられた生命を大事にしなくてはならない。

どんな理由があっても、人の生命を奪ってはいけない。

 

いのちだいじに。

 

今年の大目標は、これに尽きる。

Who tell a lie ?

例えば、

 

コレは絶対儲かる!

 

とか、

 

必ず当たる、損はさせない!

 

とか、こんな見出しを見たら

貴方はどう反応する?

 

例えそれが嘘だと分かっていても、それに乗ってしまうかどうか?

 

ハッキリ言ってしまうと、

みんな嘘つき。

 

今は、どうにか騙して楽して稼ごう、という世の中なんだろうね。

 

騙すより騙されろ

なんて簡単にいうけど、騙された本人はたまったもんではない。

 

もちろん、騙すのは論外だけど。

 

そんな世の中甘くはない、だから、賢くならなきゃ。他人に賢い、って言われるためでなく、自分自身が賢くなり、人に嘘をつかないことを貫かなきゃいけないなぁ、と思うんだ。

 

誰が嘘ついてんだよ!

なんて、言ってばかりの世の中なんてごめんだよね。

菊花賞

皐月賞は速い馬

ダービーは運の良い馬

菊花賞は強い馬

 

かつて、牡馬クラシックはそう形容されていた。

 

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淀の坂越え2度の壁、菊花賞が淀の舞台に戻ってきた。

 

しかも、今年は春のクラシック優勝馬がぶつかるというレース、皐月賞馬か?ダービー馬か?

 

何かと話題に事欠かぬ菊花賞

菊の季節にサクラは咲くのか?←古い。

 

キタサンブラックが、この地で優勝してから名馬の道を歩み始めた。オーナー、北島三郎はファンとの約束を淀の舞台で果たし歌い上げた。天皇賞(春)を連覇し淀ではG1を3勝していることからも、母父サクラバクシンオーのスタミナ不足と見られた邪推を吹き飛ばすに充分な実績だろう。

 

翌年の菊花賞は最後の三冠目をディープ産駒がもぎ取った。

 

サトノダイヤモンド

 

皐月賞、ダービーと届かなかった栄光を、しっかり掴み取った。その後の有馬記念では、キタサンブラックと相見え、僅差で先輩を下している。

 

両者の血を受け継ぐ子らが、今年の淀でぶつかる。

 

本命はソールオリエンス。

父の初年度産駒はとてつもない怪物を生み出した。

 

イクイノックス。

 

先輩に続くとばかりに、皐月賞を勝ったのはソールオリエンスだった。

 

京成杯はやや行儀の悪い走りがあったものの、他馬をねじ伏せた末脚はクラシックの主役に押し上げた。異例の直行ローテーションもなんのその、しっかり人気に応えて快勝した。

 

サトノグランツは京都新聞杯神戸新聞杯と重賞を2勝。かつて、この2つの重賞は菊花賞へ向けての大事なステップだった。

 

京都新聞杯が春に移り、今は神戸新聞杯菊花賞トライアルとなったが、両方のレースを勝って本番に臨むサトノグランツはサトノダイヤモンドの産駒だ。

 

両馬が子の世代となって戦う淀の舞台に、果たしてどちらに凱歌が上がるのだろうか?対抗はサトノグランツ。

 

以下、天才・武豊菊花賞のタイトルをファントムシーフと共に奪取の犯行予告。狙った獲物は逃さない、盗みの天才は名手とともに。

 

穴馬はキズナ産駒リビアングラス。

春はサトノグランツとタイム差無しの3着だった京都新聞杯。デビュー戦こそ4着だが、その後に3勝を挙げ、いざ本番へ。

 

以下、ノッキングポイント、サヴォーナをヒモに。

 

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コロナはつらいよ、、、、トホホorz

ワクチンをちゃんと打っていても、罹るときは罹るのが感染症というものです。

 

新型コロナ感染症にとうとう罹ってしまいました。

幸い、熱とのどの痛み、咳くらいで済んでいるので、俗にいう軽症の部類だったのでしょうが、今後も油断はできません。

 

若干、微熱が続いているのは確かで、私自身の平熱が高いからか、ここ数日の体温は37℃にいかないくらい、36.9℃が上限くらいの感じです。

 

ただ、さすがに体力が奪われてしまって、体がなまってます。

ようやく、ベッドから体を起こして何かして動かさないと、というのがあってこうしてかなり久しぶりのつぶやきを叩いているわけですが(笑)。

 

いざ、体調がおかしいな?と思ったときは、やはりお医者様にかかるのが一番。

救急相談や発熱相談を利用するのもプラスです。かかる前に一度相談をして、アドバイスをいただいてから、発熱外来を受診するといいかもしれません。

 

ちょうど祝祭日にかかってしまったこともあり、発症して2日目にお医者様に診てもらうことができたのですが、ネットで整理券を予約するもあさイチの段階で20番目、診療が始まってから実際に呼び出されるまで2時間半はかかりました。

 

市販の抗原検査キットでは陰性だったのですが、これはさすがに偽陰性の可能性もあります。特に今の時期はインフルエンザも同時流行に入っていたので、両方の検査を受けたところコロナ陽性、インフル陰性と出ました。

 

自宅での療養(半ば隔離)が続いたのですが、幸いなことに食事はしっかりとれ、味覚・嗅覚はさほど影響なし。つらいのは、家人やペットと接触できないので、孤立感が出てしまうところです。あとは、ベッドに黙って寝ているだけで、ひねもすスマホいじりの日々では、頭がどうにかなってしまいます(笑)。

 

日々の健康が一番大事、とは言いますが、病気はなってみないとわからないものだと、毎回のようにつくづく思います。

 

それに、我が家は高齢の両親がいるので、絶対に感染を広げてはいけない、というのもあり不安との闘いです。発症してから8日目で症状が落ち着いて24時間以上は経過しており、どうにか普段の生活に戻ることができそうですが、きょう一日はまだ、注意して部屋に閉じこもっています。

 

新型コロナ感染症は誰でも罹る可能性があります。

ワクチンを打っていれば大丈夫、ではありません。人によって症状がそれぞれですし、罹る人は繰り返しかかる厄介な病気です。少しでも、感染を防ぐためにも普段からの手洗い、うがいはこまめに(それでも罹ります)しましょう。

 

あと、病気を『バカ』にしないことです。

今の感染は確かに5類になったことで、以前のような予防をどこかで怠っている気がします。気の緩みとは言いますが、これは無意識になってしまっているものです。海外からの観光客の流入もあり、各国対処がまちまちなので、防ぎようがありません。季節性インフルエンザも南半球と季節が逆だからこそ、また、今まで感染する条件になかったこともあり同時流行という形になっているのかもしれません。

 

備えあれば憂いなし。

 

一人ひとりが気を付けることが、何よりも予防につながっていきます。

つらい時代に逆戻りしないよう、みんなで気を付けて予防に努めていきましょう。

 

 

14年振りの頂点奪取

コロナ禍で前回大会から6年経って開催された第5回のWBC

 

決勝は日本が3-2でアメリカを下し、14年振り3回目の優勝で幕を閉じた。

 

停滞し切った世の中が、ようやく元に戻るかのように動き始めたところに飛び込んで来た快挙は、日本全体を勇気づけるに相応しい。

 

今回の大会は随所に見応えがあるだけでなく、侍ジャパンの結束力が見事であった。従来的な日本独特の結束とはまた違った、現代のチームワークの姿を見せてくれた。

 

ダルビッシュの求心力というか、若手をしっかり引っ張っていく姿は、かつてのリーダー論でない、彼が経験した人生から相手を思いやる姿を見ることができた。

 

付いて来られないやつは来るな、という風潮はトップ集団にはあり、それに喰らい付いてくる根性を日本のどの業界でもあった事。

 

しかし、今年の侍ジャパンはチームとして目指すべき姿を全員で共有しながら、とにかく仲の良さ、相手への思いやり、カバーを全ての選手、コーチが出来ていたように感じた。

 

時代が違うといえばそれまでなのだろうが、悲壮感などはまるでなく、とは言え仲良しクラブと言われる馴れ合いでもない。楽しくプレーし、真剣に相手に向かい、そして相手への敬意を忘れない。フェアプレーに徹する姿が相手チームの共感・賞賛をよんだのではと思うのだ。

 

国を背負って勝たねばならぬ、日本は特にそう言う風潮が強い風土が今でも残っているから、負けたらどうしようという、ある種の恐怖心は抱えざるを得ないところがある。

 

ところが、もちろん勝ちには拘るけれども、この大会でチームが私たちに発したメッセージは、そんな堅苦しいものではなかった。

 

野球がこんなに楽しく、ワクワクする本来の面白さと勝負の真剣さ、熱く燃える情熱がヒシヒシと伝わってきたのではないだろうか。

 

大谷選手は試合前の円陣で、

 

憧れるのは、今日はやめましょう。

 

とチームに鼓舞した。

 

憧れだけでは、相手は超えられない。

いま、こうして頂点に立つチャンスが目の前にあるのならば、憧れは脇において全力を尽くして戦い、勝ち取るのが我々のミッションだ、と。そこに向かってチームで一丸となってぶつかっていこう、という強い意志を全員で持ったに違いないのだ。

 

最高の結果を私たちにプレゼントしてくれた侍ジャパンのメンバーは、本当に誇りに思う。そして、この素晴らしいメンバーの野球がこれで一旦見納めになる寂しさを感じざるにはいられない。

 

そして、栗山監督をはじめとしたコーチ陣は、選手のサポート、バックアップ、とにかく選手ファーストに見守り、戦略を立て戦ってくださった。前面に出るのではなく、しっかりベンチから支える思いは素晴らしかった。

 

ある監督経験者は自身のコラムで、

栗山監督は選手を統率している感じがしない、と言う表現をされていた。

 

もちろん監督はチームの指揮感であり、組織の統率者である。監督の持つカリスマ性や、揺るぎない信念は、管理者たるものは持たなければならない資質ではある。

 

だが、それをどう出すかは監督それぞれであり、形は違っていて構わない。選手をしっかり率いてるからこそ、監督は選手より目立たない。戦うのは選手自身、選手こそが主役なのだ。部下の手柄を掻っ攫う上司は今時の社会では通用しない。肝心要のところはケツをもつ。だから、お前たちはお前たちの持つ力を存分に発揮してこい、という信頼をお互いに築き上げているから、栗山監督が作った侍ジャパンの最高の答えが今回の優勝なのだと私は思う。

 

こんな素晴らしい組織ならば、組織に尽くして本望だ、と言う部下がしっかり成長してくれる。そしてその取り組みが素晴らしい成果を残してくれるのだ。

 

真の働き方改革、その象徴がこの大会の日本チームなのではないだろうか。

2011.3.11 あの日

私は学生時代を仙台で過ごした経験があるので、

 

あの日の出来事を到底、受け入れることは出来なかった。

 

津波にのまれた閖上地区にも行ったことがあるし、仲間と夜の海岸ではしゃいだこともある。

 

思い出を津波が抉りとって行った、と言うのか、あの場所がこんな事になる、誰しも想像だにはしていなかったはず。

 

2011年3月11日、忘れたくても忘れられないのは、色んな想いが今でもあるからだ。

 

前日、とある事故の影響で職場もザワザワしていた。時間どおりに別棟の執務箇所で何ら変わりなく、営業箇所からの問い合わせや、事務作業をしていた普通の日であった。

 

地震が襲う直前、とある箇所からの電話応対に出ていた。以前の同僚であったので、問い合わせに応じながら近況を聞いていたりしていた最中、揺れが来た。

 

地震?そっち揺れてない?

 

いや、こっちはまだ、、、いや、来てますね?

 

悪い、一旦切る、

 

と電話越しの同僚に言って受話器を置いた途端、あの激しい揺れが執務室を襲った。

 

大きく激しい揺れに、身体を持っていかれつつも、落下物などあまりなく長い揺れをやり過ごした後、別室の社員が、

 

早く外に出ましょう!

 

と促され、ビルの玄関先に避難。

落ち着いてから、別室をとりあえず片付け、本室に戻ると、非常扉がブラ(ロックが外れた状態)になっており、あちらこちらの機器から警報が鳴り続けていた。

 

テレビからは地震後の惨状が映し出され、雲行きが怪しい外からは雷の様な爆発音が遠くから響いた。

 

沿岸部のコンビナートが爆発、炎上し黒煙が立ち込めたらしい。

 

そこからが、長い長い地震との戦いの始まりだった。家族の安否もさることながら、業務箇所が広範囲にわたるため、各管理セクションが現地の状況、利用客の安否、被害の程度をつぶさに確認して、指示を送っていた。最中に続く余震で警報は鳴り止まず。

 

刻々と入る情報からわかる現状を上司たちが把握して、対策会議が行われた。

 

現場からの問い合わせ、今後の対応をとにかく伝え、聞いて対処するばかりで、正直何をしたかさえ覚えておらず、対処に追われていた事だけが頭に残った。

 

ある程度の収拾がつき始めて、各々の家族の安否を確認できた。幸い、現場も大きな被害はなく、家族も無事だったが、社員の中には東北出身の者もいただけに、心穏やかではなかった。

 

わずかな休息の時に、仙台にいる友人から電話が入った。被害が大きい東部地区へ車で確認をしに行っていた彼から聞いたのは、嗚咽のような叫び、、、

 

人が人でない惨状を目にした

 

多くは聞けなかった。友人の無事だけがせめてもの救いだった。

 

怒涛の対応も落ち着きを取り戻し、勤務を開放されたのが翌日の昼過ぎだった。

 

止まっていた電車がようやく動き出し、ほぼ放心だった中帰途についた。

 

電車に乗り込む乗客のなかには、我関せずのように、はしゃいでいる人がいた。無事を喜んでいる様には到底見えず、他人事のような面持ちと会話に、憤りを感じた。

 

そうやって自宅に帰ると、家族とネコが無事に自宅にいたことに安堵した。

 

あの日は、そうやって過ぎていった。

 

干支がひと回りして迎えた、

 

2023年3月11日。

 

今、あの日の事を思い出す。

悲しい事、苦しい事、そればかりがあったあの日から、

 

僕はきちんと襟を正して生きているのだろうか。