『ウマ娘』と現実
私は競馬歴がすでに36年になるが、正直、歴だけが長い(笑)。競馬予想や馬券はとにかく下手。たまにいい線は行くけれども、大した予想法もなく、連敗街道をひたすらてくてく旅である。
言わずもがなの『ダビスタ』世代で、初期シリーズはとにかくやり込んだ。名馬を自分で考えた配合、ゲームとして攻略法を聞いたりしても然りだ、強い馬が出来、数々のG1を制覇するのがある意味の悦びでもある。
ただ、色んな競馬ゲームをやった中で、世間でも大人気とされるスマホゲーム『ウマ娘 プリティダービー』には、ハマることなくいる。
ダウンロードもしたし、最初の数ステップはやってみたけど、どうもしっくりこない。システムなのか、キャラクターなのか、勿論、課金はしない主義だから他のスマホゲームも手をつけない。
人づてによく出来たゲームシナリオだし、正史(最近、史実というよりこの表現がよく用いられている感)にも概ね沿っているから、初心者はもちろん、実際の競馬ファンも受け入れやすいそうだ。
ゲームそのものは、プレイをしていないのでとやかくは言えないが、課金モデルなのは本音としてイヤ。個人の価値観だから一概に、ではあるが、ガチャを天井まで回す気にはなれないし、そこまでのめり込むほどの面白さは感じていない。
ただ、今、要はメディアと現実の境目がないファンのたち振る舞いには目を覆いたくなるものが少なからずある。地方競馬でもウマ科に関連したイベントが開催されれば、かつてない集客数、グッズ販売もあるとは聞くが、配布されたプレゼントグッズを転売目的で掻き集める輩がいるのも事実だ。
本質の競馬を愉しむのであれば、勿論それに越したことはないが、いろいろ土足で踏みにじる行為もあるそうで、もろ手をあげて歓迎できるほど私は寛容ではないようだ。やはり、分別弁えた上で競馬そのものを楽しんでほしいし、キャラクターを愛するだけでなく、実際の馬を理解してほしい。
リバティアイランドが香港で斃死した件は、やはり受け入れ難い悲しい現実である。リアルはそこが問われる。騎手もしかり、関係する人たちも、生死の迫間で競馬という仕事に就いている。リセットボタンや課金でどうにかなる虚構の世界ではない。ダビスタも予後不良のシーンがあるが、これはリセットボタンを押しても回避できないプログラムの様な記憶がある。
ゲームやキャラクターが云々ではない、あくまで。そこから関心を持ったのなら、それなりの作法は学んでほしいのだ。
競馬はスポーツ的要素がある反面、ギャンブルであることも忘れちゃいけない。切った張ったの鉄火場でもある。昔ほどガラが悪くはない、とは言え少なからず勝負師がいる。おちゃらけた態度でいると、煽りを喰うことがある。老婆心でいうわけではないが、「郷に入っては郷に従え」。古い考えと全否定してはならない。
共存ができるのが一番いいのだろうが、歴史的にいってもそれは難しい。
オールドファンも理解に努めるところは従うべきだ。これは「老いては子に従え」の教え。自分の主義主張だけでなく、相容れる寛容さはお互い持ちたいところだ。
少なからずそういう人はいる。それを踏まえたうえでの自分自身の行動をしてほしいものだ。ただでさえ情報過多の時代、情報選択というよりも強要にちかい提供、氾濫ともいっていい。目を背けたいことも数多くある中で、気配りはしたいものだ。
それでも競馬は続く
リバティアイランドの客死。
なまじっか始めた競馬初心者には、とても受け入れ難いことだろう。
SNSは残酷だ。
暗幕が張られ、横臥した彼女の姿が映っているのをみて、ある意味の覚悟はしたが、それでも生命が助かることを祈った。
公式の発表があり、唇を噛んだ。
こればかりはどう足掻いてもどうしようもならない。彼女のためを思うと、致し方ない処置だ。
もっと残酷なのは、亡骸は日本に戻せないこと。ホクトベガもアドマイヤラクティも、とおい異国の土に眠っている。
更に残酷なのはSNSの中に蔓延る無責任なポストだ。
ケチはいっぱい付けたいが、付けたところで変わる事は皆無だ。
これだけ良識というものがない所で語っても暖簾に腕押しである。
今、出来ることは冥福を祈ること。
それだけ。
辛い場面は幾度となく目の当たりにしてきた。
しかしながら、これが競馬だ。
生命を賭けて競技に挑んでいることを、改めて、その本当の意味を理解してほしい。
ゲームではない。
それが現実だ、と言うことを痛感してほしい。
それでも、競馬は続く。
JR東日本 という会社
ご覧になられた方も多いのでは、と思う。
JR東日本は今、大きく変わろうとしているのはご存じの通り。
高輪ゲートウェイシティの『街びらき』をはじめ、鉄道を中心とした街づくり・コトづくりを標榜し、鉄道会社という既成の概念を打破して、今風にいうなればサスティナビリティな経営を進めていこうとしている。
鉄道事業に依拠するのではなく、そこにヒトという関りを密に持つべく様々なコネクトソリューションをぶつけてきている。鉄道会社だからこそでなく、鉄道会社がこんなことを事業として展開しているまさに現代版財閥企業だ。
都市インフラを抱える事業というのは、収益性が難しい。
固定費にかかる負担が相当あり、経営を圧迫する一つの要因ともいえる。
国の特殊企業体であった国鉄、日本国有鉄道は明治の開業以来の歴史を持ちつつ、一度倒産をした。国の方針には逆らえない経営、いびつな労働組合との労使関係、東海道新幹線の開業が赤字の火種になったことなど、時代に取り残されていく企業体質が放漫経営、親方日の丸と揶揄され徐々に国民の信頼を失っていった。
1987年4月、6つの旅客会社と1つの貨物会社に分割され民営化されたJR。
発足後38年を経過したが、命運がはっきりと分かれている。
三島会社と呼ばれた、北海道、四国、九州の各旅客会社。
九州はいち早く鉄道外収入にその基盤を求め、多角化を推進。今や不動産事業が中心となり、株式の上場を果たした。その反面、主たる鉄道事業の経営は決して盤石とはいえず、新幹線の建設・開業による効果もそこまで華々しくはない。逆にコストを抑えるために駅の無人化を徹底して推進したことによるハレーションが問題となっているが、利用者に立ったサービスの提供には評価は今一歩だ。
北海道と四国が苦しい。
四国は慢性的な利用者減に悩まされるばかりでなく、鉄道が他の交通機関との競争に負けている側面がある。非電化区間がいまだに主流であり新幹線を持たないことが弱みとまで言われる。筆者はそうは思わないのだが、いわゆる大都市圏直結アクセスに乏しいのが四国の弱点といえよう。
北海道は事故の頻発が大ダメージの原因。
また、札幌圏も含め輸送の慢性赤字体質から抜け出せないのも原因だ。そこに来て人手不足などが重なり、主要幹線の一部は災害による復旧ができずに廃線となった。復旧にこぎつけるだけの体力もなければ、鉄道を必要といわれながらも、実際は採算性が認められずに廃線のやむなきに至るのが本音だろう。
東日本、東海、西日本の本州3社も安泰とは言えない。
東海の事業性はすべて新幹線にかかっているといっても過言ではない。中央リニアが開業すれば、東京大阪の二大都市圏輸送がさらに強化されるが道半ばにして開業がずれ込んでいるし、名古屋から先のルートには先行きが不透明な問題もある。静岡での河川、地下水問題がいい印象を与えていないのもある。それでも、鉄道輸送に関してはブレのない体制を一貫しているのはJR東海といっていいだろう。
西日本は逆に、東日本も同様だが地方ローカル線の存廃がカギである。
大阪圏をはじめとした都市輸送は収入の核とはいえ、営業範囲が広く収入の安定化には苦慮している。ここも省力化をいち早く進め、子会社化の徹底など経営のスリム化を図っている。山陽新幹線が東海道と比べて収益がそこまでいいとも言えない。京都や奈良、大阪、神戸などインバウンドに特化できる主要観光都市を抱えてはいても、実際航空機やバスとの競合も激しく、関西圏は対峙する主要私鉄各社とのシェアにもかかわってくる。
さて、表題のJR東日本。
『変革2027』という経営ビジョンを掲げ、鉄道会社というスタンスを今大きく変えようとしている。昨今の地上波メディアにJR東日本をテーマとした番組が目立つようになった。それも主題は輸送本業ではなく、高輪ゲートウェイ、スタートアップ、地域と連携した街づくり協業、クルーズトレイン四季島のような高収入者・インバウンドをターゲットとした非日常のサービスが主題となっている。
エキナカビジネスが当たり前の風景になったのは、東日本の生活サービス事業にこだわった最大の収益といえよう。駅がショッピングの中心となり、鉄道を囲い込むかのように自社のビジネスを展開していく手法は、阪急創始者の小林一三も舌を巻くところだろう。いまや駅がDJブースとなり、フェスの会場になってしまうなんて、この先はごく当たり前の風景になるかもしれない。また、高輪ゲートウェイの開発は東京の中心を掌握する企業の一大プロジェクトにも見える。都心アクセスがお世辞にもいいとは言えない東京。膨大な鉄道網の発達を使いこなすのは非常に難しい。インバウンド立国を目指す国の方針からも、主要空港のアクセス改善は喫緊の課題であるが、成田はとにかく時間がかかる。羽田も鉄道交通が便利とは言い切れない(それでも京急・モノレールの輸送力はすごい)。そこに、JRがアクセス新線を建設し、各エリアへの送客に取り組むとなれば、競争というよりかは手段の拡充という意味でも利便性を向上可能だ。今日、明日の2日間の工事はその影響ではあるが、これも代替交通機関があるからこその工事といえよう。
しかし、その反面一番危惧するのが『安全』である。
JR東日本が言ってはばからないのが『安全』こそトッププライオリティということ。
システムの向上が安全性を飛躍的に高めてきたのも事実だが、この安全を愚直に支えてきたのは外ならぬ現場社員である。だが、安全のほころびが見えてきているのも事実である。
新幹線の走行中分離事故は、安全の根底を覆した。
幸い、脱線や死傷者を出す事故にはなっていないとはいえ、走行中の列車が分離事故を起こすというのは非常に重大な事象である。それも未だに原因を特定できていないという側面を見ても、システムや機械技術がいくら進歩しても扱う人間の技術力が追い付いていないのでは?という疑問もある。
JR西の福知山線脱線事故と、JR東の羽越線脱線転覆事故は奇しくも同じ2005年に起こっている。前者はダイヤ遵守を問われるが故の社員教育体制・労務管理に重大な問題があったこと、安全設備の投入が追い付いていなかったなどがあげられ、後者は予測不可能な気象による偶発事故ともいわれている。しかしながら、不幸にも事故で命を奪われたという事実はあるわけで、事故の撲滅に徹底して取り組んできた鉄道マンの労苦が、たった一度の事故で水泡に帰してしまうのは、非常に因果なものだ。
細かい事故は日々発生している。実際に報道にはならないものを含めると膨大なものになるかもしれない。そこには、システムや仕組みに依拠し、働く側に対して根本的な変革を求め労働を強いているという側面がないとも限らない。
首都圏各線で南武線と常磐緩行線の2路線ワンマン運転が開始された。
実は、超大編成(常磐線は10両、南武線は6両)のワンマン化が実現できると輸送業界は大々的な革命といえる。乗務員の省略は人件費の抑制につながるだけでなく、会社側の言い分からは、新しい領域に投入できる人材の確保も可能で、人員不足に悩まされる今の時代には経営体制の効率化に一役買うという面をあらわにしている。
地下鉄ではすでに超大編成のワンマン化運転は始まっているし、新都市交通システムは無人運転が一般的なのは事実である。
しかし、これにはからくりがある。
東京メトロ南北線を例にすると、この線は建設時点ですでにワンマン化(自動運転)を見据えていた。大きな違いが完全にホームと線路を分けたホームドア形式の導入で、ゆりかもめも同じである。今のホームドアは既存のホームに後付けであるため、飛び越えようとすればできてしまう代物。一定の抑止効果はあれど、完全ではない。また、地下区間であり踏切などもなく、いわば鉄道専用線で交通を遮断する仕組みがないことも、自動運転を可能とする要因といえる。
では南武線はどうか?
川崎~立川間を結ぶ同路線は、地上区間、踏切がある。一部高架区間もあるとはいえども、ホームドアはすべて後付けである。6両編成であり、ワンマン化する試行路線という観点からは非常にクリアすべき課題を持った、会社にとっては最適な路線である。安全面から踏切がある、地上区間がある条件をクリアできれば、ほかの路線にも一定条件をクリアすれば導入できるという実例が欲しかったのは明白だ。本施行後も現時点ではワンマン化による安全を阻害するような事故は起きていない。おそらく、今後はワンマン化に向けた施策が急激に進むことだろう。
だが、テレビの本編を視聴していて気になったことがある。
南武線のワンマン運転前に乗務員が実際の旅客営業列車で訓練を受けていたことだ。
もちろん、ワンマン運転に向けた訓練を営業列車で行う周知はあったろうし、車掌も当時は乗務していただろう。指導する社員も運転席に添乗していたが、非常に気になる。実際、訓練には含まれていない踏切支障が発生し、急停車対応をする場面が放送されていたが、訓練事案以外の事象に車掌や補助員がそれに係ろうとする姿勢がないのである。なぜ踏切非常ボタンが扱われたかは番組本編では取りざたされてはいなかった。では、逆にその事案が踏切内に自動車が立ち往生してそれを認めた訓練営業列車だとしたら、その場面はどう報じられたのだろうか・・・・。下衆の勘繰りとも思われるだろうが、乗客を担保にして訓練を行うという姿勢に疑問を持たざるを得ないのである。
常磐緩行線でも、ワンマン運転の営業列車訓練は行われており、車内アナウンスによる周知は行われたと知人からは聞いている。安全には万全を期してはいると思いたいが、正直なところ胸に何か引っかかるところがある。
もう一つは、南武線の車掌がなぜ狙われたか?というところだ。
かつて、ここには矢向車掌区という箇所があった。人づての話なのだが、この職場は俗にいう組合職場である。労働組合に加入している社員の力が強いということだ。内情ははっきりとわからないが、俗にいう浦和電車区事件があってからJR東日本は労務体制を強化したともいわれ、強大な力を誇示した第一労働組合との確執がスト権確立問題で一気に加速し、表向きには労組加入の社員が愛想をつかして弱体・自滅に及んだといわれる。その労務体制強化に尽力したのが会社の中枢役員であり、論功行賞が与えられたともっぱらの話であるのは、その筋では有名なものだ。
かつての労組が力を持った職場が、会社の施策で発展解消され、人材の有効活用につながったとすれば、経営側から見れば大功績を果たしたことになる。あくまでも憶測にすぎないが、符号するものがあるとなれば、単なる偶然で片付けることもできないだろう。常磐緩行線も国鉄時代には力の強い労務職場の影響があった線区でもある。
安全を第一に掲げる会社でありながら、その安全の綻びに対して気づかないままいる。注目を浴び、会社が大きな変革を遂げている最中、不幸な事故が起きることのないように祈りたいものである。
偲ぶ、とは。
大学時代の同期が若くして旅立った。
ガンのステージ4、知らされてから約半年で逝ってしまった。
昨年、会社で一緒に働いた後輩が交通事故で命を落とした。不慮の事故とは言え、やるせなかった。
自分よりも歳が下の人を送るのは、やはり辛いものがある。冥福を祈るばかりだ。
通夜・葬儀の形も様変わりした。
家でなく業者のホールが一般的で、コロナもありいわゆる家族葬形式も多くなった。
故人を弔う形はなんであれ、とは思うが通夜に参列して、何故か違和感を感じてしまった。
葬祭ビジネス、という形にである。
近年、火葬料が跳ね上がり、とにかく葬祭費用がバカ高いという。業者によっては言葉が悪いが弱みにつけ込む形で進めるとも聞く。
驚いたのは、読経を中座して弔電を読む、そして喪主の挨拶があり、再び読経、そして焼香とつづく。
是々非々は正直わからぬ。
今の世の中はソレでいいのかも知れない。
葬祭にあれこれ言って、故人を困らせるのも本意ではない。
が、
何か、大事な事が欠けている気がしなくはないのだ。
故人を弔い、僧侶による読経を終えて、弔電、挨拶ならわからないでもない。
時間にとらわれ、演出効果を存分に使い御涙頂戴、って、故人を偲ぶと言えるのだろうか。
香典返しもカタログギフトになっている。
時代って、そんなビジネスライクに生きるだけのものだろうか。
もやもやしたまま、故人の冥福を祈る。
、、、自分は嫌だ。
2025年 乙巳 謹賀新年
2025年も、無事に年が明けました。
毎年、初日の出を拝む度に
『ありがたいなぁ』
と思います。
平穏無事を願いたいのが本音ではありますが、時代に流されない、自分自身の芯をしっかり持って今年1年に奮闘努力していきたいです。
まずは健康。
齢を重ねれば、身体にガタは出てきます。
メンタルの部分もきます。
健康であるために、程々を心がけていきます。
頑張りすぎない、コレも大事かな。

好きなものは、思う存分楽しむ。
まずは5日の金杯(笑)。
それと、大阪万博‼️
旅を今年は楽しみたいなぁ。
2025年は戦後80年の節目。
今一度、先人の苦労を思い、しっかり地に足をつけて。
今年もよろしくお願いします🙇
愛車について語る
今年の6月。
26年間お世話になった愛車を廃車にした。
惚れ込んで買った三菱パジェロio、1998年に自分で最初に買った車だ。
当時はまだ薄給で、4年ローンだったかを組んだ。
パジェロにあこがれて、ミニも検討したのだがちょうどイオが出るとわかってターゲットに。この時も結構勢いだけで買った記憶がある。
当時の勤め先の先輩は車に詳しい方が多かったので、ディーラー周りを一緒にいってもらいアドバイスを受けた。まだカーナビも出始めのころだったし、一番の決め手はそこだったかな?お気に入りの車にカーナビ、文句なし。
四駆乗りにしては、あまりオフロードにはいかなかったけれど、当時は遠距離恋愛もしていたので、慣れぬ高速をすっ飛ばして通った思い出もあるし、買って早々元カノにバンパーを壊されたこともある(修理代はもらっていないw)。四駆の安定性、走る楽しさを十二分に味わせてくれた愛車だった。
晩年は車をあまり使わない生活にシフトしてしまい、バッテリーがあがることもしばしば。経年劣化もあってきちんとした姿で送り出せなかったのは唯一の後悔だ。三菱からパジェロが消えて久しい。しかしながら、ミニ?フルスペック?が復活するうわさもあると聞く。もし本当なら楽しみではある。
そう、今は新しい相棒がいるから。
中古ながら、なかなかいい出物の出会えた。
SUZUKI スイフトRSt(ZC13S)。
3.7万キロの走行履歴だが、前のオーナーが大事に乗っていたのか、非常に状態はいい。パワコン、二本出しマフラー、社外ホイールなど、多少?のイジリは入っているがコンディションがいい。
初めてのスイフトは、廃車の時にTimesのカーシェアで利用したのだが、運転してて面白い、というのが率直な感想。グレードは不明だったが、ハンドリングも軽くレスポンスもいい。なかなか、自分で感触が合うというのも珍しいので、印象に残った車だった。
しばらくは車のない生活、いや、カーシェアでもいいのかなぁ・・・と思っていたのだが、母親がやはり車が欲しい、と言い出してそこから購入の検討に入った。
街乗りだけだから、軽でもいいかなぁ?という話もあり、
ハスラー、日産デイズ、ルークス、HONDAのNシリーズなどを見て回った。
乗用車ならコンパクト?Bセグメントがよかろうと、日産マーチ(すでに中古のみ)、ノート、HONDAフィット、TOYOTAのヤリス、そしてスズキのスイフトと候補を挙げた。
今は軽自動車を買ってもそこそこ値はする。
ならば普通車でも予算内ならいいのか?と検討し、一度、スイフトの出物を見つけたのだが、迷っている間にSOLD OUT。条件よかっただけに、残念。
しばらく、軽とのにらみ合いが続く中でスイフトRStが出てきた。
走行距離3.7万kmで値段も若干足が出るくらい。取り扱いのディーラーに見積もりをネットで依頼すると、担当者から電話が入る。
「もし、決めてくれるなら取り置きします。結構、問い合わせが多い車で話が前向きだったのでお電話したのですが?」
善は急げ。手付を振込んで実車を見に行く予約を済ませる。
SUZUKI車ではあるが、ディーラーはMAZDAだった(笑)。
中古だけに、下取り等の車を自社で扱うらしく、各社の中古がある。
MAZDAはデミオ(今のMAZDA2)が気にはなっていた。最近のマツダ車の評価も高いし、なにせマツダといえばロータリーエンジン。ネタはあるw。
担当の方もおすすめしてくれて、やはり、スズキのディーラーとは張り合えないところもあるので、値段もそんなに高くできないとのことだった。即決、契約。前金を支払って、納車をまち今に至る。
6月に納車して約5か月。
すこぶる快調に走るスイフト。
現行のスイスポ(ZC33S)が人気で、よく見かける。MTはしばらく乗っていないが、わが相棒はパドルシフトがついており、MTモードも楽しめる。純然たるMTシフトにはかなわないけど、走りの楽しさは十分である。
3気筒1.0リッターターボ、ラインナップの中でこのエンジンを積んだのはRStだけ。ほかは1.2リッターNAやマイルドハイブリッドだったり、スイスポは1.4リッターターボだったはず。ATも6速なのはRStのみで、ほかはCVT。
すでに新型スイフトが出ているので、7年落ちにはなる相棒だがおそらく負けてない(笑)。RStは約3年でグレードから消えている。この車が出た当初はMTがあれば、というコメントが結構多かったらしいが、スイスポがそれを打ち消してしまったこともあり、RStというグレードも存在意義がなくなってしまったのかもしれない。
現行の新型スイフトにはRSグレードすらない、3気筒1.2リッターマイルドハイブリッド。スイスポはいまだZC33Sが現行だが、モデルチェンジのうわさもある。
中古車たる宿命もあるが、RStを一番気に入った私だから、それでいいのだ。
しばらくは、この相棒とのびりカーライフを楽しむつもりだ。
中古品に関する一考察
、、、論文のような表題ですが、なんてことはありません(笑)。
新品より中古、というのが割と気にならない時代なのかな?と思う最近。
BOOKOFFで本を買うのも、いわば中古品を買う一つですし、車や家などの大きな買い物は、中古を買うという選択は普通でした。
骨董品もいわば中古の取引。古物という言い方もしますが、稀覯品ならばとんでもない価値がついてしまうのもあります。
車や本もそうですね?
新品では手に入らないものには、付加価値が付きます。
ただ、これが一般でも利鞘稼ぎの手段になってしまい価値観が分からなくなったり、詐欺に通じる取引もある。
昔からあることとは言え、金目当ての取引が普通になってる気がします。
私の趣味に模型もあるんですが、この分野も左にあらず。ロットをあらかじめ少なく作るので(ニッチな分野だから、そう大量には作れない背景もある)、変に在庫がなく値が張るものが多いのです。
転売ヤー、なんて言葉がありますが、私自身はすごく嫌な感じがしますし、価値のわからない人からは買いたくはない。
中古を買う、というのはそれなりの知識やポリシーがあって、それに資する価値を自身が磨かないと、意味がないんですね。
安かろう悪かろう、ではよくない。
やはり、中古品を手にして、それにしか味わえない価値を自分で見出してこそ、だと思います。値踏みしたものより、いいものを安く手に入れた時は、何物にも変え難い感じを得ることもできます。
新品は自分が育てるもの。
中古品は人が手がけたものに、自らが磨きをかけるもの。
金額ではない、自分自身の価値が試されるのが中古品ではないか、と思うのです。