たいそうなタイトルの割には、大したことは言わないかも知れない(笑)。
小学校の低学年だった時の担任が、
『自慢は知恵の行き止まり』
という言葉をよくおっしゃっていた。
自慢をするようになったら、もうその先に使う知恵がなくなる、今いるその場からしがみついて離れない、だからもうその人の成長がない、という意味と解釈している。
子どもの本質から、やはり褒められたい、とは誰も思う事だし、出来ないことを出来たら、それはもう鼻高々に自慢するのは、ある意味仕方ないこと。
だが、大人は経験による知恵をたくさん身につける、そうした自慢で成長を止めてしまった人を見ているからこそ、頭の柔らかい子どものうちに教訓を教えようとしている。
昔の人は言いました、などと、よく耳にしたセリフだが、今の世の中はとんと耳にしない、いや、こうした文字文化デバイスが浸透している中では、目にしなくなった、とでも言ったほうがいいのだろうか?
過去の出来事、知見、知識を学ぶことは普遍である。最初から物事を起こして上手くいくことなど、この世の中には存在しない。トライしてエラーして、さらにトライ、エラーを繰り返して、モノにできるからこそ、尊い。
初めっから苦労せずやれるものなんて、なんの価値もない。出来合をただトレースしてるだけ、まさに行き止まり。
世の中、便利にはなったものの、最大限に活用して自分の道具として使いこなしている人がいったいどれだけいるのだろう?
堀江某はスマホさえあれば、仕事はほとんどこなせる、という意味合いで話していたが、額面通り受け入れたら、それはバカのリモコンにしかならない。言動や思考をそのまま受け入れるのは、正直芳しくないが、堀江某の言っている意味は理解できる。彼はその先、人と対峙して自分なりに答えや考えを持ったものを受け入れているだけにすぎないのだろう。わかりきった事なんて面白くもない、だったら言うなよ、という感じなのだろう(筆者なんかはいの1番にこき下ろされそうだが)。
経験が挑戦を妨げる、というのは珍しくないし、歳を重ねれば重ねるほど守りに入るのは理解できる。新しいことを取り入れる時間がかかり、モノに出来るまでの自信を途中で失ってしまうからだ。
自分の勢いでこなせるのは若いうち、アタマが先天的に柔らかい時期だけだと思う。だからこそ、歳をとったら素直に人に聞いて教わる、ということを恥ずかしがらずにやるのが大切なんだろう。プライドが邪魔をするし、年端もいかない若者が相手にしないのも怖いだろう。そこを上手く切り抜けられる、のは重ねてきた経験をモノにした上でコミュニケーション出来るかだろう。
打ち解け合えば、大した問題ではない。
お互いがうまく化学反応を起こしたら、それは世紀の大発明になるかもしれない。
そういう人の繋がり、というものを大事にするべきなのが今の世の中に欠けているのではないだろうか。