オリンピックなどの大きい大会は、どうしても結果が求められてしまう側面があります。
やっている本人の並々ならぬ努力は、計り知れないものだとは分かっているはずなのに、ほんの一部が騒ぎ立て事を大きくしてしまう様になるのは、何故なんだろう、と、毎度の様に思ってしまいます。
昨日行われたスキージャンプ混合団体では、スーツ規定による失格が相次ぎました。
もちろんルールの運用は厳正かつ公平であることが大原則です。それに則っていなければ、然るべきペナルティを運用するべきです。
しかしながら、その運用は明確であるべきであり、事前にこういう措置をとるというのは競技関係者の同意を取らねばならないはずです。
抜き打ちの検査で失格者が多くでた、との報道ですが、前回の個人戦と同じものを使用しているにもかかわらず、今回は失格と判定されたとなれば、確かに合点が行くものではないでしょう。
この問題は、ルールに適合しなかった選手に責任がある、とは言い切れないと思います。どちらか、と言えば競技運営側の細かい配慮が欠けていた、とも言えないのではないでしょうか。
例えば競馬。
騎手はレース前と後に必ず検量を受けます。
決められた重量で騎乗しなければならないため、検量は厳正なものであり、各国の主催者の基本はほぼ同一です。
ただし、厳正な判定の盲点をくぐり抜けてしまう違反者がいないとはいえず、抜き打ちの検査を導入せざるを得ないのは理解出来ます。
素人目線なので、詳細な規定はわからないのですが、今回の問題、あくまでも報道の記事から読み取れるものを前提ならば後検量が実施されていれば、どうだったのだろう?と思います。
競技中に急激な体調変化はあって然るべきです。検量はその生理的要因も踏まえ、誤差の許容範囲を定めているはずです。
どこかに手落ちがあったのならば、それは速やかに直されなければならないし、やはり、実際に競技を行うのは選手なのですから、いたずらにメンタルを刺激する様な事象は起こしてはなりません。
それにも動じない屈強な精神こそがトップアスリートの条件、とは到底思えません。人間である以上、鋼の心なんて虚構だと私は思います。
ただでさえ極限の精神状態を強いられている選手、ましてやオリンピックのような舞台では、失敗が選手の命運をことごとく変えてしまうことが少なくありません。
ドイツ選手のコーチが声を荒げたのは、結果ではなく選手が安心して競技が出来ないことに対する抗議である、と捉えています。監督・コーチが選手を指導するだけでなく、選手を外因から守る責務を理解しているからこその抗議なのでしょう。
チームメイトの励まし、コーチの擁護は甘やかしでなく、選手が全力でプレーを果たしたことへの尊敬だと思います。
まだ、大会も序盤。
しかしながら、すでにこうした残念なニュースを毎日のように聞いている気がします。
運営側の手落ちがないか、今一度精査をしてほしい、そして参加する全てのアスリートが全力を出せる環境を整備し、無事に競技を全うできることを祈ります。